2015年08月10日(月)

夏季休暇のお知らせと福山雅治コンサート

今年の夏季休暇は8月9日~16日までですが愛社精神の旺盛な社員さんの一部は休暇も取らずにご依頼いただいたクライアント様のお役に立てるよう多忙きわめておりますが、棟梁の私は久々の休暇を取り、娘のつてで手に入れたチケットで日産スタジアムにて開催された福山雅治コンサート行ってまいりました。
7万人収容の会場で2日間にわたっての公演、述べ14万人を動員できる人気にはいささか、ど肝を抜かれてしまったのである。
恥ずかしながらいつものゲスの勘繰り・1人1万円ほどの入場料14万人では如何ほど?などと考えてしまった、果たしてギャラの分け前はどんな取決めであろうか?

2015年07月16日(木)

新国立競技場の計画見直し

新国立競技場のデザインは国際コンクールで審査に2ヶ月もかけて、なぜあのようなデザインを
選んでしまったのであろうか!選考員の思い上がりか!コンプレックスか!キールアーチに一目惚れしてしまい見境なく決定してしまったのであろう

決定に手を上げた選考員の顔が見たい、どの面下げて世間に顔見せできようか、自分たちは先見の目があるからと、このようなデザインを選んだのだと思うが我が国民は恥ずかしい思いです。
日本には日本の風土にとけ込んでいる伝統的な建物があります。
日本を理解している日本のデザイナーの手で新しいデザインを創造、間に合わないとあきらめていないでここは天下の一大事、オリンピック景気で潤っている大手建設業者が協力してオリンピックまでに新国立競技場を完成させて欲しいと願います。
今こそ日本人のそこ力による奇跡を!

2014年12月21日(日)

国宝殿 医王寺と 匠の会創設功労者の通夜

昨夜国宝殿で厳かに通夜が執り行われた、故人は朝日住まいつくり研究グループ協同組合 匠の会創設者の一員であった石黒氏、いつも平常心で私の善き相談相手でもあり理解者でもあった人。
又ニス界でも選手として善き指導者として功績を残され・ウットラケット全盛時代(カワサキラケット・ふたばラケット)製作の一助を担った実業家でもあった方。
お互い匠の会卒業後はOB会にて情報交換など開催その幹事役も快く引き受けてくれ、新丸ビル内のレストラン等で食事会など行ってきたが最近企画がとどこっていたことが気になっていた矢先の訃報でした。
通夜は、国宝山 医王寺、JR南武線南多摩駅から南に150m、川崎街道筋北川高台にあり、現在多摩川三十三観音霊場第二十三番札所および関東九十一薬師霊場第二番札所になっている由緒ある寺院で行われました。
18時からの通夜でしたが17時過ぎには到着18時の開式時には最前列でご焼香をさせていただいた。
祭壇は故人のお人柄のよう、祭壇と左右は純白大輪の菊が備えられ親交のあった方々から届けられた献花は200其程にもおよび、又純白大輪の菊で統一されていました。
あいにくの雨であったが参列者は準備された大型テント2張りには収容できず雨の中、故人を忍ぶ参列者の長蛇の列が続いた。
あまりにも多い参列者を考慮してかご焼香は心を込めた1回でお願いしますとのアナウンスがされた。
通夜は最前列であったため私は雨にも打たれずご焼香を済ませ早々に帰路につくことができました。
今はただ、故人のご冥福をお祈りしています。

2014年12月14日(日)

長野県白馬村地震

地震勃発から1週間 12月1日より倒壊建物の撤去作業が始まると報道にて知り、倒壊原因調査のチャンスを失うことを恐れ、取るものも取らず電車を乗り継ぎ(茅ヶ崎駅→橋本→八王子→松本→白馬駅)6時間ほどで小雪ぱらつ日没のく白馬終着駅にたどり着いた、乗客の一部は乗り換えのため
( 白馬から先は線路崩壊のためか)、JRが準備したタクシーやマイクロバスに案内され、オーストラリアからのスノーボーダー3名他、通学生達10数名が分乗し奥地へと向かっていった。
線路を境にアルプス側(白馬各スキー場)にはホテル民宿が多く幸い被害が少なかったため、線路を挟んだ反対側(農家が多い)の震災被災者の方々がほどなく訪れるスキーヤー宿泊施設を仮の避難所として各被災地区の村が契約し食事代は自己負担?で被災者の宿泊所としているようであった。
ちなみに私が宿泊した白馬ロイヤルホテルにも被災者の方々の姿があった。
翌日早朝より被災地に詳しく、報道関係者を案内していたという地元のタクシーをチャーターし被災地をくまなく周回、倒壊建物に潜り込み倒壊原因の引き金となったであろう部位を探してはデジカメ2台におさめその数は4時間ほどで1000枚弱となり、カメラのバッテリーも限界、前日早朝よりガラ系携帯電話での連絡、仕事関連の緊急相談電話やメール対応しながらの震災地調査は心身も又限界、幸か不幸か会社との連絡に使っていた携帯電話のバッテリーも又限界とこれ以上の滞在は無理と判断、帰路は穂高

2014年12月14日(日)

長野県白馬村地震 棟梁の報告

地震勃発から1週間 12月1日より倒壊建物の撤去作業が始まると報道にて知り、倒壊原因調査のチャンスを失うことを恐れ、取るものも取らず電車を乗り継ぎ(茅ヶ崎駅→橋本→八王子→松本→白馬駅)6時間ほどで小雪ぱらつ日没のく白馬終着駅にたどり着いた、乗客の一部は乗り換えのため
( 白馬から先は線路崩壊のためか)、JRが準備したタクシーやマイクロバスに案内され、オーストラリアからのスノーボーダー3名他、通学生達10数名が分乗し奥地へと向かっていった。
(白馬のスキー場は20年程前に一度深夜バスにて訪れたことがあるスキー場でもあります)
線路を境にアルプス側(白馬各スキー場)にはホテル民宿が多く幸い被害が少なかったため、線路を挟んだ反対側(農家が多い)の震災被災者の方々がほどなく訪れるスキーヤー宿泊施設を仮の避難所として各被災地区の村が契約し食事代は自己負担?で被災者の宿泊所としているようであった。
ちなみに私が宿泊した白馬ロイヤルホテルにも被災者の方々の姿があった。
翌日早朝より被災地に詳しく、報道関係者を案内していたという地元のタクシーをチャーターし被災地をくまなく周回、了解の上倒壊建物や半倒壊の家屋に潜り込み家具の散乱状況や、倒壊原因の引き金となったであろう部位を探してはデジカメ2台におさめ、その数は4時間ほどで1000枚強となり、カメラのバッテリーも限界。
前日早朝よりガラ系携帯電話での連絡、仕事関連の緊急相談電話やメール対応しながらの震災地調査は心身も又限界、幸か不幸か会社との連絡に使っていた携帯電話のバッテリーも又限界とこれ以上の滞在は無理と判断、帰路は穂高より乗車し12月2日21時懸念していた余震にも遭遇することなく無事会社へと戻れた。
調査総費用(茅ケ崎白馬往復JR足代、チャーター車代、宿泊代 〆て5万円弱)
阪神神戸大震災、新潟中越地震(山越村)、能登沖地震、新潟中越沖(柏崎刈羽原発)東日本巨大地震等震災のつど被災地調査を行ってきたが一つとして被災地や倒壊原因は同じ状況ではありません。
白馬地震はたった5秒の揺れで50棟もの建物が崩壊してしまい被災者の皆さんは降雪の季節を迎える現実があるのです。
今回の被災建物では地盤の影響が大きく今までの被災地では見られなかった建物周辺に亀の甲羅のような地割れが見られたこと、構造材の大きな断面の柱、2階梁、小屋梁等の破断や仕口、継ぎ手の外れが他地区よりも多かったと感じています。
私の地震被災地調査研究も25年ほどになりその都度倒壊原因は弊社の新しい建物に生かされていることは弊社でなければできないことだと自負しています。
震写真展(阪神淡路大震災~白馬地震)は来春機会を見つけ開催したいと願っています。
必ず発生する地震の震源地がじょじょに私たちの暮らす地域へと迫っていることが気がかりです。
カウントダウンはすでに始まっていることを心にとめて行動することが大切です。
発生時のため私たちのできる事は、地震発生時の救援資材の確保備蓄、既存建物の耐震診断調査、耐震補強こ工事、建物内の家具転倒による被害防止のため家具の転倒防止作業などを行っています。

2014年11月09日(日)

今年も始まった小中学校・体験木工教室

事の始まりは要請があり、カルチャーセンターで木工教室の講師役を引き受けたことがご縁で、市内の小中学校からの要請を頂く事が多々あり、いつの間にか毎年5校~6校の授業を引き受けています。
今年は梅田小学校3年生140名、小和田小学校2年生130名、松浪小学校3年生140名余の生徒達とのふれあい木工体験教室を、梅田中学校、萩園中学校、からの職場体験生徒の受け入れ、鶴嶺中学校
への木工出前教室を受け持ち、小学校2校、中学校1校を消化ホット一息というところです。
この教育奉仕もすでに10数余年続き、卒業生からは弊社へ入社、大工職人として一人前に技術を習得し、巣立っていった頼もしく可愛いかった元生徒もありました。
弊社の腕の良い棟梁に厳しくも愛情受け、良いクライアントに恵まれ技術を習得したからには仕事の内容を選び期待に応えられる仕事をしてほしいと願っています。
予算の限られた建売住宅等の仕事を引き受け、短い工事期間や低い予算から、やむを得ず粗い仕事や手抜き仕事になりさがると、手が(腕前が落ちる事)荒れてしまい、注文住宅職人とは別扱いとなってしまいます。
腕の良い大工職人さんを永年専属で工務店に留めていられることは、目利きの良いクライアントに認められているからに他ありません、そのためには工務店としても決してお施主様に妥協を求めず、
自らの技術に妥協してはならないと心に決めているのです。

2014年11月02日(日)

タニタの体重計

棟梁は1939年生まれ、体調管理のためタニタの体重計にのり一喜一憂しています。
最近の体重計では身長を登録すると・体重・体脂肪・皮下脂肪・内臓脂肪・体幹年齢・体幹バランス等を知ることができるのです。
自己満足ではありますが我が体幹年齢・体幹バランスは50~60歳台の数値を表し、他の係数も成人病からは程遠い数値を表しているのです。
自慢の健康体を過信して天職の大工仕事に、登山、スキー、テニスに興じていた結果肩鍵盤断裂、左足膝半月板裂傷、右アキレス腱断裂と心以外は満身創痍、今年は大事を取り富士登山は断念したがテニスは復活、75歳の手習いと手術ハンディーを取り戻そうと夜間テニススクールで孫年代の年齢層の若者たちに負けじとラケットを振り回しています。
さらに年末からはスキーも復活、来年のことを言うと鬼に笑われると言い伝えがあるが久しぶりに海外スキー行きに再チャレンジ、そのため足腰を鍛えて行かねばと整形外科に通いつつスクワットに励んでいます。
ちなみに整形外科で検査した骨密度等は40歳代とうれしい結果のデーターでした。
私の所属テニスクラブは湘南ローンテニスクラブと姉妹クラブの湘南インドアテニスクラブ。
いくら頑張っても上達は望めず落ちこぼれないよう励むのみです。
再入会目指すスキークラブはBEST SKI ACADEMY(BSA)日常生活に支障のなくスキーが好きで、学習意欲のある50歳以上の人が入会を許されるアカデミーです。
50歳からのスキーライフを楽しむ方にはベストのクラブです。

2014年11月02日(日)

工務店系リフオーム(外科手術)と内装業系リフオーム(美容整形)

過日棟梁のひとりごとがご縁でお問い合わせをいただいた。
1960年生?自称デザイナーの素敵な女性、ご自分で設計された設計図を持参されての初対面でした。
ロケーションの良い湘南のリゾート地に建つ、経年劣化の進んでいる中古マンション(占有部分75坪)の1階室を購入、完全に内部をスケルトン状態にし、新たに持参された図面に沿った施工希望を伺い、現場の調査、打ち合わせを重ね相見積を条件に詳細の見積を始めた。
表面に現れた仕上がり部分の見積もりには頭を痛めることもなかったが、表面からは見えないが明らかに劣化が進み、補強を施さなければ何れ大きなひずみの現れることが明らかな箇所、依頼された見積もり希望条件からは逸脱した作業であるが、技術系工務店が施工するには見過ごすことは許せない
為、修繕補強工事費用を加算した見積書を作成、工事期間100日を提示判定を待ったのでしたが!
競合内装業者は工事期間を弊社の半分である50日を提示!
誇り高きポリシー(技術に妥協せず他に妥協を求めず)理念遂行の結果、理念の違う?業種との相見積に見事敗れてしまったのである。
難易度の高い医術をこなす名医による患部摘出、代替え移植外科手術を選ぶか!
美容整形外科を選ぶかは患者様のみができる治療方法の判断ですから!結果も判断者の責任!
ここで下手な詩を一句献上
あいみつに りねんまもりて やぶれしも わがこころはれ けっかあわれむ 
相みつに  理念まもりて  敗れしも   我が心晴れ    結果憐れむ  
(理念を実行、安全完全な工事を提案したが、理解できなかったことを気の毒と思うが、理念を通せた我が心の強さに感銘)

2014年09月07日(日)

快進撃 全米オープンテニス錦織圭選手決勝に進出

錦織圭選手、全米オープンテニス決勝に進出と加賀妻工務店、40年前30歳台で始めた趣味のテニス、
当時は天皇家特に皇太子様と美智子妃殿下がテニスを楽しまれているニュースが報道され、テニスブームであった。
私のテニスデビューは湘南の軽井沢と称された湘南ローンテニスクラブであり、現在もメンバーであるが主として最近は姉妹クラブの湘南インドアテニスクラブで相変わらずの落ちこぼれテニスを続けています。
テニスやスキーで痛めた膝や肩断裂手術のリハビリ中ではありますがテニスは楽しいスポーツです。
私の背中を見て始めた娘、孫、ひ孫達は自慢の頼もしいテニス家族です
・ハードヒッターで40代の娘恵子(社長夫人)
・バイトでテニスコーチをしている市民大会優勝者の大学生20歳の孫大地
・リフーム部所属、孫雄介の子5歳のひ孫 憲心と自慢の4世代のテニス一族です。
すでに娘や孫の技術レベルにはついていけずに置いてけぼりの、落ちこぼれテニス人生ではありますが、いずれはひ孫をパートナーにテニス大会に出場することです。
マッケンロー・ボルグ・コナーズ・の時代から現在のテニス界は錦織圭選手の時代へと、ラケットの進化とともに試合スタイルも変化し進化しているのですね!
残るは錦織圭選手の優勝を願うのみですが、今年は残念な結果で次につないだ事が次への飛躍のステップとなることを信じ、次なるチャンスを期待し待つことにしましょう。

2014年08月15日(金)

今日は終戦記念日

1945年(昭和20年)8月15日から70年、今日は70回目の終戦記念日です。
私はこの24日で75歳となり、後記高齢者の仲間入りです。
父はニュウギニア マノクワリで戦病死(マラリア)遺骨はありません。
数年前には私もニュウギニアを訪れ父が眺めたであろう山河、サンゴ礁の海をわが目に焼き付けました。
戦争がなければ父は訪れ眺めることも、触れる事もなかったであろう美しい海、そして素朴で明るい原住民の人々、祖国に帰ることはかなわない父ですが美しい海で好きであったと、故母きよさんから聞いた魚釣りに興じていてくれればと願っています。
その後同じく激戦地であったパラオ、ラバウル等を訪れ戦争に巻き込まれた国々、過去の人々を忍び現在も紛争の続く地域の人々に平和な暮らしが訪れることを願い、久々のブログでした。。