2016年05月30日(月)

三世代同居耐震リノベーション相談の回答

> ・お尋ねの件ですが
> 建築年数大凡33年と言うことでは1983年(昭和58年)頃でしょうか、
> この頃より建築基準法が新耐震として改正されその後の建物は
> 耐震基準上理論的には安全になった筈でしたが相変わらず地震の
> あるたびに新耐震建物であっても大きな被害となっています。
> 熊本地震でも新耐震基準建築物に大きな被害が出ています。
> 今回リフォームの御計画があるのでしたら、まずは耐震診断から
> 始め、診断の結果を踏まえて新しい計画の間取り設計に入り
> 間取り案が決まりましたら平面図を考慮し耐震補強計画に入るのが
> 費用の面からも二重工事の無駄が省け良いでしょう。
> 次にご両親のため居住したままの工事をお考えのようですが
> 工事は3ヶ月の長きにわたること事も考えられますのでその間
> 騒音等発生しますので、ストレスのケアを双方で考慮されれば
> 特に仮住まいをされなくても全面改修工事は可能です。
> どちらかの階を優先的に完成させ一時的に家屋内で移動される事が
> 宜しいのかと考えます。
> 他の技術的なご要望は全て対応可能、解決出来ると思います。
> (建物の内外、床下、天井裏等訪問の上目視調査→耐震診断→
> ご希望の条件把握→間取り図面作成→耐震補強計算→御見積)
> ご参考になれば幸いでございます。
> 耐震調査の費用は頂きませんのでお気軽にご用命ください。
> (株)加賀妻工務店 会長 加賀妻憲彦拝

2016年05月12日(木)

リフォームを考えたら耐震診断を

リフォームのついでに耐震診断を計画されるクライアント様からのお問い合わせが
多くなり、下記のような返信メールを書かせて頂いております。
リフォームを御計画されるときに耐震診断をされることは賢い選択だと思います。
建築された建物が昭和56年以前の住宅でしたら、高い確率で倒壊の恐れがあります。
56年以降の建物でも平成7年以前、12年以降と段階を経て建物の耐震性は良くなって
はいますが施工レベルや使用金物のレベルが現基準に達していなかったために最近の
地震規模(震度7)では建物への影響は大きいですから是非耐震診断をお受けください。、
昭和56年以前の住宅の場合は、緊急性がありますので国等からの補助金の対象にも
なっていますが、リフォーム計画をお持ちの場合には制約のある補助金を辞退され
自費で耐震補強をされても、同時に行うため割安な予算で補強することが可能です。。
弊社は耐震診断から耐震補強迄をノンストップで行う事の出来る実績も経験も豊富な
工務店であります。
熊本地震益城町の倒壊建物と倒壊を免れた住宅(耐震補強済みか?)2016/4/25日撮影
DSCN5976_640.jpg
建築基準法新基準建物でも手を抜いたのか?金物不足がこのような有様に、
%E8%80%90%E9%9C%87%E4%B8%8D%E8%B6%B3_640.jpg

2016年05月07日(土)

応急危険度判定について

熊本地震の後、応急危険度判定についての判定表示の仕方が問題視しされてていることが新聞等で報じられています。
被災建物の応急危険度判定の目的は余震による二次災害を防ぐために行うものであるため建物には、ほとんど被害がなく倒壊の危険もないような建物であっても、仮に屋根の瓦が数枚外れて滑り落ちそうな状況があれば、頭上が危険であるから黄色や、赤色紙が張られることになります。
張られた黄色(注意)や赤色(危険)の紙面には危険となる理由が書かれているため落ち着いて周囲を眺め、危険と判断された原因、注意と警告された状況や原因を取除けば危険は取り除かれる訳けであり、状況によっては避難所から戻り住み慣れた我が家で雨風を防ぐことも可能となります。
阪神淡路大震災や、新潟中越地震で私の判定した事例では応急処置をとれば倒壊をまぬかれる住宅や、瓦の一部を取り除けば危険度が低くなる建物においては書面とは別に口頭で説明し感謝されたこともありました。
今回の地震でも応急危険度判定士として熊本空港より被災の益城町、西原村へ出向きましたが目的は、過去の活動経験を生かして、直接判定はせず、判定士が判定した結果について関連周辺の人々へ理解できるよう説明、カウンセリング的な意味合いを持った活動に徹したのでした。
003_640.jpg

2016年05月05日(木)

我が家の家庭菜園は古いポリのバスタブ

連休の最終日、猫の額ほどの我が家の家庭菜園、バルコニーに置いた廃棄バスタブを再利用した
1㎡ほどの風呂桶畑に育った野菜の収穫祭、3か月ほど前、古い浴槽にベビーキャロットの種をまき
 ようやく収穫の時を迎えたのです。
この1年の間に・チンゲン菜・キャベツ・リーフレタス・ミニニンジンと様々な野菜を種まきから
取入れまでをこの小さな浴槽で育てサラダなどにし食したりと、ささやかな楽しみを味わいました。
次から次へと種は違えど連作で,荒れてしまった浴槽の土(1m3)を入れ替えひとまず畑は小休止。
%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3_640.jpg

2016年05月03日(火)

上野駅の危険な頭上と浅草浅草寺境内の素敵な人?

私なりの熊本地震倒壊原因調査も一息つけ久々に、ニューギニアで戦死した父の眠る浅草の寺へ出向きました、数年前までは新橋で乗り換え地下鉄で浅草へ行ったものだが、最近は東海道線が上野を経由するため上野駅より浅草寺まで徒歩でも短時間に行かれることを知りました。
茅ケ崎より1時間30分ののちには職人達の通う河童橋商店街、父はその付近の通称河童寺に空の白木箱の石ころに変えられ祭られているのです。
奇しくも浅草寺には通称身代わり地蔵が祭られ今日も大勢の人が参拝をしていたのである。
東京駅とは違い上野駅は昔のままのたたずまい、構内をうっかり歩くと頭を梁下にぶつけてしまう程の天井高さであります。
昭和の時代の鴨居の高さ(出入り口の高さ)はせいぜい1730cm現在の出入り口は最低でも2000cmと
なり25cmも高く作られていますが上野駅では頭上までが1800cmそこそこで長身となった人々や外国からの旅行客にはとても危険に感じます。
。浅草寺入口の素敵なパントマイムカップル
%E6%B5%85%E8%8D%89%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A0_640.jpg

2016年05月01日(日)

2016年4月25日の熊本城天守閣の一部

熊本城は加藤清正公築城により、大阪城、名古屋城と並ぶ日本3名城と言われ非現存のものは1878年の西南戦争で天守閣が焼失(自焼説)1960年に外観復元(コンクリート製)
(西南戦争の戦禍でも残った櫓群は、国指定の重要文化財指定建物は今回の地震で甚大な被害)
現在城址公園より拝観できるのはこの写真のみ苦労して撮影(前面のお堀周辺に亀裂が入り立ち入り禁止)
%E5%88%A4%E5%AE%9A%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%20%282%29_640.jpg