2013年04月22日(月)

茅ヶ崎たいあっぷ90推進協議会とは?

茅ヶ崎市は近隣の市町村と比べ来たるべく地震に備えた準備を積極的に行っています。
数百年に一度と言われ神戸には地震がないと言われていた阪神地区に未曾有の震災が起きてからまだ20年に満たない過日、淡路島でまたも大きな地震がおきました。
阪神淡路大震災の震源地も今回の地震と同じ淡路島北淡町でした、そのときの断層がそのまま保存さ後世に残されています。。
震度の割に被害が最小で収まったのは一八年前の震災でほぼ全滅に近い北淡町でしたから残された建物がごくわずか、そのため被害もこの程度で済んだのだと思います。
白淡町は日本瓦の生産地ですからほとんどの建物の屋根には立派な日本瓦が葺いてあります。
その建物が過去の地震で倒壊を免れたことには理由があるのです、年代の古い建物の重い屋根は地震時に屋根瓦が滑り落ちる施工方法ですから図らずも重い屋根亙が滑り落ちたお陰で本体建物は倒壊から免れたのです、テレビで報道されていた建物の屋根だけが破壊されていた被害はそのことを物語っています。
現在の屋根の葺き方は重い屋根亙が落下により軒下の人に被害を及ぼさないよう、滑り落下しないよう固定されています、そのため地震時屋根の重さに耐えるように建物本体を頑丈にしなけれ建物は危ないのです。
ここのところ地球的にも又国内各地でも大地震が頻発しています。
茅ヶ崎たいあっぷ90推進協議会とは?
すでにカウントダウンの始まっている大地震に備え茅ヶ崎市市民の皆さんの生命と財産を守るべく発足した市民、建築専門家、茅ヶ崎市建築指導課から抜擢された優秀な職員で構成されている協議会なのですが、いつも地震のことだけを考えているわけではなく大岡祭等市民の皆さんが集まるイベントには広く啓蒙運動を重ねると共に、日本産の建築銘木を利要した・マイ箸作りが好評です。
準備には時間もかかり大変の面もありますが今後も協議会の皆さんと続けられたらと思っています。




2013年04月15日(月)

アベノミクスと北海道

久しぶりの北海道スキー行きです、シーズン中は10万円以上もかかる旅費も4月に入ると・3万円台に下がる為オフを狙っては北海道スキーを楽しんで来ました。
費用の中身は・往復の飛行機代・二泊三日(三泊四日も同価格)の朝食付きハイクラスのホテル代と・乗り放題のナビ付きレンタカー・スキー場のリフト代・おまけに7千円分の無料クーポン券付きセット代金です。
実質25,000円ほどでほとんど貸し切り状態の札幌国際スキー場のゲレンデで、スキーを楽しむことができました。
利用者にとってはありがたいことですが日本(北海道)の経済、景気を思うととても心配であり、申し訳なく思います。
早くアベノミクスが特効薬となり景気が向上することを願うのですが!
サッポッロ周辺には広大な北海道をミニ開発した、見るからに安普請の分譲住宅が軒を並べていたのが気に掛かります、アベノミクスがリスクに変身スラム街にならねば良いと願います。
ちなみに我が輩のスキー、当日は4月とは言え大吹雪となってしまった先の見えない2500mダウンヒルコースを独占滑降、新雪で見えなくなったこぶで飛ばされ足はガクガク雪だるま状態となり二本滑lってギブアップ、足の異変に気がつき早々の下山となりました。
天職の大工仕事では73歳の現在までたいした怪我もなく続けてこられた身体も、趣味と健康のため始めたテニスで肩の鍵盤断裂、スキーではむち打ち症と半月板損傷等、元気が売りの棟梁も趣味での怪我とは恥ずかしいかぎりです。

2013年04月14日(日)

決断するのは今でしょう”

趣味で始めたテニスは格好良くメタポと成人病予防に役たち茅ヶ崎の湘南ローンテニスクラブにて40年ほど続けていますがこのままでは続行不可?岐路にいるのです。
数ヶ月前より右肩に激痛を感じ思い切ってMRI診断受診、右肩鍵盤断裂と診断されてしまった。
右肩激痛は現役大工の棟梁としても、アマチュアのテニスプレイヤーととしても、睡眠中も耐えられない苦痛ですが、手術に踏み切るには73歳の年齢を自ら如何に考えるか、リハビリ含め12ヶ月の活動セーブと経過観察が如何なるものか悩むところです。
痛みを鎮痛剤で止め控えめの活動を続けるか、一年間のブランクを覚悟で手術に踏み切るか思案の真っ最中、決断するのは今でしょうと、岐路の方向はいずこへか?
肩はだめでも足があり頭脳は明瞭なりだが、このまま復帰をあきらめるのにはまだまだ若すぎるとも思う身の程知らずの昔鍛えた棟梁なのです。

2013年04月14日(日)

行動するのは今でしょう” ・贈る言葉と・送られる人。

贈る言葉
・人は皆、自分の健康は自分の責任で管理するのが義務、行動するのは今でしょう。
送られる人
・健康診断を一度も受けずに腹痛を訴え自ら居住地の東京で緊急入院をし余命三ヶ月から六ヶ月と医者より宣告されていた娘たちの母親でありる元妻を看取って二ヶ月余、盲腸癌から大腸に癌は転移していたが気丈であった故人は、延命治療を望まず希望に添い湘南の地の緩和病棟にて余生を過ごすことになり、元気なうちにと箱根の温泉を楽しみ愛娘たちと代わる代わる想い出話に花を咲せたのでした。
旅立つ前日のこと病室を離れる際には、ベットからかすかに手首を振り、”ありがとうね”の言葉を境に、”やすらかな眠りに入り、翌日には家族全員に看取られながら”千の風”にのって大空に召され舞い上がって行きました。
自然を愛し樹木葬を望んでいた故人は大岡越前の守の眠る窓月山 浄見寺に墓所を構えている。
すべての行動を控えて来ましたが、喪の明けた今73歳の私はあらたなる何かの為に行動を起こさねばと今できることから始めます。
ブログ再開もその一歩、そう今”でしょう。