2012年08月16日(木)

今年の富士山登頂記録と未来へのひらめき

次回のために、
2012年8月9日5時事務所付属の住まいを出発徒歩にて茅ヶ崎駅へ・5時20分の熱海行きに
乗車、国府津駅にて御殿場線・沼津経由熱海行きに乗り継ぎ・7時20分御殿場駅より須走登山口に・8時10分到着・腹ごしらえの時間を使い身体を高所にならし高山病に備え登頂開始時間は9時とした。
本七合目には12時50分頂上には16時50分。休憩時間延べ1時間行動時間延べ7時間合計8時間を要した登頂であった。
下山は5時50分須走登山口9時10分 下山には3時間20分を要した・頂上宿泊費夕食カレー付7350円・ペットボトルのドリンク7合目では550円・頂上では500円・豚汁700円・トイ使用200円。
以上であった。
69歳より始めた富士登山も今年で4回となり年齢も73歳となり年齢を重ねるごとに体力の限界をつくずくと感じる登山です。
20年ほど前であるが母70歳ごろに訪れた富士山では社員と二人で母を支え、。7合目まで登頂豪雨のため登山登頂禁止となり断念したことがあったがその時の母はとても気丈であり登山の断念を訴える我々の意見に、私は死んでも登るよと一人頑張ったことがふと思い出された一人登山です。
あのころの登山道はたばこの吸い殻が登山道に捨てられ、闇夜の登山道はたばこの吸い殻をたどりつつ道を見誤ることはなく、山小屋の裏手にはトイレから垂れ流した汚泥と溶けかかっているトイレットペーパーが山肌一面に散らかり、遠目には白い花が一面に咲き誇っているかと錯覚をしたものでしたが、最近の富士山は自然遺産登録を意識してか、ごみひとつないきれいな富士山にうまれかわっているのです。
母の年齢を過ぎての登山はとても苦しい登山ですが目標を持ち、日ごろから体力維持に心がけていくことが次年度への登山決行の礎となり、生涯現役を心がけている自己への戒めと決めているのです。
登山から5日目となりやっと疲れも取れたようですが来年の苦しい登山計画は白紙の状態なのです。
過去3年間の登山は満月の日に午後からの登頂を目指し深夜頂上へ、日の出までの数時間を厳寒の富士山の頂上で多くの登山者とそれぞれの方法で凍えながらの野宿、ご来光後に下山開始・7合目までは吉田口へ降りるデモ行進並みの人波で団体バスツアーの登山者と下山道を降りるのですが4時間かけて喘ぎながら登った標高差を50分足らずで下山するのです。
7合目の分疑点から須走下山道に入りしたすら火山岩と砂交じりの急こう配を5合目めざし駆け降りるのですが、普段使われていない足腰の筋肉がパンパンにはれ上がり苦痛をこらえての2時間強の下山であります。
今年の登山計画は頂上の山小屋に泊り寒さをしのぎ体力を温存してお鉢周りまでを計画していたのですが、山小屋の夜具は冷たく水分を含んだ45センチの敷き布団に2名で1枚のかけ布団実際には畳2枚(1,8m)に男女の差別なく5名の他人様が雑魚寝させられる有様でした。
19時の消灯でしたが多くの人たちは眠れずに体調を崩していった様子でした。
気分が悪い、はきそうだ、寒い、等々ささやかれる言葉やスプレー缶より酸素を吸い込む音等に、ほとんど一睡もできないような苦痛を山小屋内で味わったことは返す返すも残念であった。
富士山は世界の登山者が訪れるば場所ですから山小屋とはいえ今少しの配慮が経営者には必要ではないかと考えさせられたのでした。
眠れないまま今後の工務店経営の行き先を考える時間が持てたことは不幸中の幸いでもありました。
禍転じて福となり、カガツマの将来あるべき指針が、ご来光を待たずして、ひらめいたのでした。