2012年01月19日(木)

外国人墓地の気になる墓石

昨日は建築士を対象にした耐震診断士講習会が港の見える丘公園・近代文学館にて開催。
(株)加賀妻工務店1級築士事務所主任と、今年2級建築士取得大工職(耐震事業部所属)の3名にて受講、13時~17時の間で一通りの講義を受けたが受講も5年目ともなると講師以上に経験豊富である事に気がついたのであった。
5年前では300名程の受講が昨日はせいぜい100名そこそことなっていたのは私と同じ気持ちの技術者が200名も育ったのかも知れません。
開講時間より早く到着した私達は時間を持て余し周囲を散策、異国の人の眠る外国人墓地にたどり着いたのです。
日本の開国に携わった異人が異国の地に眠ること、成功し名をなした人、志し半ばではてた人、墓標、石棺の一つ一つについて眠る人の過去帳が保管され別室にて開示されていた。
立派な墓標の脇に見捨てられたように横たわっている他と比べみすぼらしい石棺墓標の事が気になり資料館にてその石棺について調べて見たが目的果たせなかったのです。
奉られている他の人との差別?階級、貧富、国籍、今もその石棺の人の境遇に想いを、、、

2012年01月16日(月)

阪神淡路大震災から17年

17年前の震災当日私は群馬県岩倉のスキー場にいた、このことは幾度となくブログにも書いてきた。
私の震災ボランテァ経験も17年を迎えた事になり震源地の淡路島北淡町の1メートルに及ぶ断層上の建物被害調査、凄まじい灘区の建物崩壊、長田の火災痕の大谷石基礎、兵庫のお大尽屋敷の被害等、
新潟中越地震においては豪雪地の十日町、地滑りの山古志村、へぎ蕎麦の小地谷、堀之内と渡り歩き応急危険度判定を行った。
その後に起きた登半島地震では、日本海に面した門前町を基点に調査判定と見聞を広め、
続いて起きた新潟県柏崎、原発のある刈羽村では大工職を引き連れ被害建物の応急修理をし、最後に罹災証明の発行手伝いまでも務め感謝されたものです。
東日本では社員でもある孫を連れいち早く被災地に乗り込みましたが、大工の腕や耐震判定知識はなんの役にも立てず現地でわずかなお金を使うことしか思いつかなかった。
茅ヶ崎に戻っての活動は津波で流された後に自衛隊の手で回収された写真の洗浄と場所の提供、不足物資の提供などを行って来ました。
気がつけば話は横道にそれ備忘録の披露となってしまったが残念な事にのど元過ぎれば熱さ忘れるが人の世の常である事を思い知らされたのです。
弊社では17年前の大震災の時より次なる地震に備えることを心がけ、備蓄ブルーシート、を始め救助用の各種器材、チエン鋸、発電機等を購入震災に備えてきたが最近備蓄状況を調べてみたら、発電機は不調、チエン鋸、ブルーシートは使い物にならない程の始末です。
今思いついていること、免震住宅の免震住宅実験棟を展示場として近い将来に建設しよう。

2012年01月01日(日)

NHKの紅白から除夜の鐘へ

新しい年、2012年が始まってしまった、阪神淡路大震災追悼イベントで始まった2011年事始め、まさかの東日本大津波、まさかの原発被害、この震災で日本が地震国でありながらその備えは経済優先、対策には限りがあり慣れが加わった結果の大被害であった。
弊社も地震の影響を肌で感じ震災復興ボランテァや、地元の茅ヶ崎市の地震対策事業、タイアップ90活動に全力であたり、それなりの成果を残せたと自負しています。
成果の影に人あり、担当のK長さんSさんHさんIさんYさんそして前任Oさんお世話になりました、2012年が始まってしまう前に陳べたかった2011年感謝のメッセージ遅ればせながら2012年の幕開けに除夜の鐘に乗せて発進しました。
来年いや今年もご指導ご引き立て宜しくお願いします。
                  Yさん合格おめでとうございます。