2011年08月31日(水)

管首相ご苦労様、野田新首相期待してます。

東日本並びに全日本復興をになう日本の総理大臣が決まった!
管さんは大変な時期それなりに身をなげうって空白を埋め頑張ってくれたと信じています。
野田さんの名前は立候補直前まで私は知らなかったが訴えてきたことには共感を覚えます。
政界ヘドロの中から竜のごとく突如現れたドジョウ野田新総理大臣には大いに期待しよう。
我々の期待を裏切らず頑張って欲しい各党間のしがらみにノーサイド判定、名審判に期待。
我が社(株)加賀妻工務店妹尾社長も創業者加賀妻の期待通り次世代の工務店像を確立中。

2011年08月21日(日)

今日は茅ヶ崎市総合防災訓練日、皆さんお疲れ様でした。

今日は茅ヶ崎市建築指導課のお手伝いで総合防災訓練に参加とは言っても我々の出番があるわけではありません。
9月初旬に開催される建築指導課主催による公開防災講演会のPRを兼ね、案内チラシを配ることが唯一のお手伝いでした。
本来であれば弊社にあるイベント用耐震補強構造模型を会場に展示し耐震補強啓蒙活動のお役に立てるのですが、あいにくの雨模様、昨夜から準備した展示物の展示は雨天ではできないため、今朝は早起き、コンパクトな耐震補強構造模型を急ごしらえで造りイベント会場にもちこんだのです。
毎年参加している総合防災訓練ですが今回は天候が原因なのか?例年に比べ会場に覇気が感じられなかった。
総合本部からの指令が参加者には届かないのか、各町内会の参加者は烏合の衆となり大切な時間が無駄に過ぎさっていくことが気になってしまったのですが後半では挽回され服部市長の俳諧の挨拶で幕を閉じた。
時間つぶしに見学した被災者の救護訓練会場は有意義であり明日は我が身か?このような訓練が無駄で有り続けることを祈ったのです。
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2011年08月14日(日)

富士登山備忘録

11日12時過ぎ御殿場線御殿場駅より須走登山口ゆきバス乗客15名程、片道1500円往復2000円14時30分登山口到着、15時10分登頂開始、7合目大陽館17時30分~18時休憩(豚汁うどん1200円)21時本8合~22時休憩(即席汁粉350円)23時9合、休憩、24時頂上到着。
5合目よりの頂上まで延べ時間9時間。
リックザックの容積30㍑、総重量9㌔グラム、飲料水1㍑、湯ポット200㍉㍑、エネルギースナック3個(ココナッツビスケット2枚+2枚、大豆ビスケット2枚、スポーツドリン1)
気温5度、体感温度2度程度、月夜だが風が強く急激に寒さを体感、スキー場以上に寒さを感じとても寒い。
昨年登頂時の様差経験からの経験から夏用レベル7の羽毛寝袋と防水カバー持参、ユニクロ製ヒートテック下着、ダウンベスト、ゴアテックス上着着用のまま頂上の神社軒下を借用して寝袋に入り4時迄地べたに横になったが、身体が冷え眠ることは出来ず寝袋を出て2度もトイレを済ませた、有料トイレの中は唯一登山者が予約なしで入れるスペースの為用足しとは関係ない人達8人ほどが寒さから身を守るために身を寄せあい、バイオトイレとは言てもそこはトイレですが、外の寒さから身を守るには最高の場所であったようです。
(私の防寒計画は残念ながら外れ、レベル7の羽毛寝袋は役に立たず歯をがちがち鳴らしながら夜明けまでの我慢でした)
登頂時間の24時では小人数だった登山者も早朝4時に私が神社の軒先から追い出され時には続々と登ってくる団体の登山者で頂上は満杯でご来光を観るための場所取りの最中でした。
4時半に神社の太鼓が鳴り祝詞の声が人混みの中からかすかに聞こえ神社の人には朝のお勤めがあることを悟った次第です。(巫女?は全員が男子で祝詞の後はお札や土産物の販売に勢を出し他の土産屋の店員さんと同じ口調で土産には小分け袋をおつけします等と応対に余念がない)
4時50分頃より空が赤く日の出の近いことがはっきりと分かり5時になった頃待ちに待った、ご来光の閃光で一瞬に寒さと闇から解放され全員が元気になれた一瞬でした。
ご来光は一瞬に(数秒後)雲に隠されましたが登山者は満足されていたと思います。
団体の登山者はこの瞬間から下山道に誘導されバスの待つ吉田口バスターミナルへと4~5時間の長く辛い下山となるのです。
個人差が2倍以上ありますが、登頂に6時間~9時間、頂上にせいぜい60分滞在してすぐに下山となるのです。(ツアーガイドの説明では急速な団体登山のため頂上に長く滞在すると高山病にかかるリスクが高まるのでご来光後にかんぱつを入れることなく7合目を目指しての2時間ほど下山道を下るの意だそうです)
私も今回は須走から登り吉田口へ下山する計画で迷わず団体登山者に混ざり雑踏の中9時30分に吉田口バスターミナルに到着11時発新宿13時到着の高速バスに乗車(乗車賃は2500円也)、新宿到着即、13時30分の湘南ライナー乗車、14時30分茅ヶ崎駅着、15時(株)加賀妻工務店本社、会長室に到着即メール閲覧、その後帰宅。
今回の登山は単独と言う事もあり慎重になるあまり、リュックの重量が9キロ程になり往復27時間の行程では足に予想以上の負担がかかり下山は非常に辛く、けいれんの始まっている下半身の、こむら返りを注意しながらの慎重な下山に心がけたのでした。
富士登山は登りが苦しいのですが自分の意志で登るのですから、いつでも止められると言う気持ちもあってか?苦しみを我慢しながらも知らず知らずのうちに頂上に登り一時の達成感を味わい苦しさを忘れてしまうのですが、登ってしまった分だけの下山も自己責任で下らなければならないのです。
この下りの辛いことは昨年以上でした、耐力には未だ余裕はあったのですが、脚力は限界を大きく超え自分なりにも危険を感じた次第です。
下山道で誓ったことと言えば来年は年齢を考え周りに心配やら迷惑をかけないうちに富士登山は打ち止めにしよう。
帰宅早々妻には今帰ったよ、疲れた、来年は登らない、登らせないでくれでした。
一晩たった翌日にはふくらはぎと、太もも筋肉の張りと痛みで苦しみながら、のど仏過ぎれば熱さ忘れるのことわざのい違わず、次なる登山は富士宮登山口から登頂して御殿場へ下るコースを計画しています。
この備忘録は来年度74才時の登山計画参考資料なのです。
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2011年08月10日(水)

明日は富士山にチャレンジ

富士山への挑戦は母がまだ健在だった15年ほど前からである。
1日の仕事を終えた後20時頃より多人数で登り始めるのだが決まって同行の誰かが高山病になりリーダーであった私が付き添い下山、5合目の駐車場にて夜を明かしたものでした。
当時は茅ヶ崎のライオンズクラブが、カナダエドモントンライオンズクラブと姉妹提携をしていたこともあり、夏の間はホームステーでカナダより青少年達を我が家に投宿一月ほど日本の生活を体験させ、茅ヶ崎からも又カナダに子供達を送り出していたのです。
弊社現社長婦人である娘も当時夏の45日をカナダエドモントンに招かれた経験者なのです。
ある年のこと、カナダの広大な山岳を知る彼らの希望もあり富士登山を体験させることになり同行したのですが彼らの常識からは小さな山、富士山をなめてかかった登山だったのか、早々に高山病にかかってしまい5合目駐車場まで下山し体調の戻るのを待ち茅ヶ崎へ戻ったこともあったのです。
心に残る富士登山は弊社社員であり私のテニスのコーチでもあったS君と私とで母を伴い富士登山にチャレンジ、夜間行動で頂上を目指したのですが晴天であった星空が8合目あたりで突如豪雨となり登山をやめるよう母を説得したのですが、私しゃ死んでも富士山に登ると聞き入れず渋々9合目を目指したのですが、幸か不幸か登山道に頂上への登頂禁止パリケードが張られやっとの事で深夜の山小屋に避難、翌朝まで続いた豪雨のため登頂を諦め母を説得して須走5合目を目指し母を両脇から支え飛ぶように下山した時のことは今でも忘れることない。
母との富士登山はそれが最後となってしまったがその後の登頂の時には母の遺影を持ってご来光を迎えたことで母も本懐を遂げ満足してくれたであろう。
この24日には私も母の登山年齢に近い72才になります、昨年は孫の雄介、一昨年は同じく孫の颯君と登頂、今年は単独登山となってしまい一抹の不安はあるものの・2011年8月11日午前中は現場周りで12時帰宅・18時より須走口から単独で頂上を目指します。
18時須走5合目、21時7合目、24時8合目、25時9合目、26時頂上、登頂でき運が良ければ、5時ご来光、正午吉田口よりバス乗車新宿へ、めでたく帰宅できれば茅ヶ崎スーパー銭湯で砂払い。
2010年は登頂中の苦しさから2011年はもう登山はやめようと決めながらの登頂でしたが達成した下山道では既に2011年は須走から登頂して吉田口へ向かい下山する計画を描いていたのです。
今年からは年齢を考え、無理せず登れる処まで登りそこで野宿をするつもりで寝袋持参なのです。
山小屋も深夜の宿泊は不可、他の登山客の迷惑を考え受け入れを拒否されてしまうことがあるので宿泊の場合は17時迄には宿にたどり着くことが必要なのです。
年齢相当、充分に時間を持っての計画のつもりです。