2010年08月30日(月)

のれんの重さと大らかな棟梁のプライド

30年前の新築OB様から連絡があった、10年前にN社製のユニットバスに交換したが最近ユニット部品の防湿ミラーが熱を持ち熱いので見て欲しいとの事である。
調査の結果鏡を温めるヒーターのサーモスタットの劣化によりいつも保温状態になってしまったようですが通常大メーカーの器具類商品保証はせいぜい1年が限度です。
松下幸之助創業のパナソニック電工が行った責任感というサービス、何年過ぎても故障は故障、お客様には迷惑をかけてはならないと言う苦労人幸之助の信念、この思想、このパナソニックの理念はちっぽけで評判の良い(株)加賀妻工務店の理念でもある。
お客様に妥協を求めず、自らも技術には妥協せずが創業者加賀妻の理念である。
地元に会社が存在している限りOB様の暮らしを守るのが弊社の義務であり家業でああり、大らかな創業者棟梁のプライドなのです。

2010年08月25日(水)

深夜の富士登山

昨年70才の誕生日登頂に続き71才の誕生日の24日満月の夜に富士登山を決行。
昨年は社長次男颯、今年は我が子雄介と二人ずれ、当初予定では弊社営業さん親子2名と4人での一泊昼間登頂であったが、出発間際の不都合で別れ別れの別行動となってしまい我々は夜行登山となったのである。
山頂で落ち合える筈であったが生憎携帯電話の電池が消耗し使用不可となってしまい山頂でのランデブーは実現できなかったが結果的にはお互い親子水入らずの富士登山ができまた事になる。
山田親子は13時登頂開始、6時8合目宿、翌朝5時登頂ご来光10時前須走到着。
我々は18時登頂開始、20時7合目、23時30分本8合、登頂翌朝1時30分
期待していた山小屋は深夜当直のため受け入れを拒否され宿を提供されなかった。
日の出の5時前後満月であったが頂上は一時小雨となり気温は氷点下近くとなり一睡もできぬまま日の出を待つと言う最悪の結果となってしまった。
4時半頃にはご来光目的の個人、団体で足の踏み場もないほどの賑わいとなり、登り切れない登山者は登山道の中途でご来光を待っているというすさまじい光景を目にした。
我々二人は渋滞を回避するため頂上中心地から比較的人影の少ない須走下山道へ移動5時の日の出を迎えた直後、素早く下山を始め9時前に出発地の須走登山口に到着した。
実に登頂開始から15時間不眠不休で寒暖差の厳しい富士登山は71才の私にはとてもきつかったが同行の雄介の支えで無事家路についた。
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2010年08月22日(日)

今日は茅ヶ崎市、防災訓練の日・

遅刻常習犯の汚名のかからぬよう会場の松林中学校へは集合時間の30分前に到着したが既にテントも張られ会場内準備は万端、開会式を待つばかりの雰囲気であった。
我らの建築指導課から拝命、加賀妻工務店が頂いた役割は、弊社オリジナル紀州材で作成した地震に強い、骨太構造体標本の展示です。
建築指導課からは・ミスYさんを始めO氏他2氏?が担当されたようでした。
テント内で耳にしたビックNewSは明日のFMラジオにミスYさんが出演デビュー。
13時開会はオープニングセレモニーもない開会であったが、放送席からは英語、韓国語、中国語等それぞれの担当者がアナウンスしていた、とても流暢な外国語でのアナウンスには茅ヶ崎市の防災にかける情熱の強さを垣間見ることができる。
それにしても韓国語、中国語の流暢な事、アナウンスされた方々の国籍が気になりわざわざ放送席をのぞき込みに行ってしまった程である。
あらためて耐震補強の必要性を認識したのは・起震車に乗せてもらった阪神大震災レベルの震度7の地震波を車の上で体感させてもらったことであり、今まで以上に補強の精度、強度を上げいざ鎌倉には加賀妻の耐震補強の実績を胸を張って語れるよう気を引き締めて行かねばと思った。
ボランティアコーデネートのテントがあったが受け入れ側の立場からのシュミレーションでは実体験の経験不足もあると思い遠方から訪れる善意のボランティアに何処まで満足の行くコーデネートができるか心配だなと感じた。
模擬ボランティアコーデネートではボランティア参加側からの意見も収集する必要があるのではと思う。
自ら阪神、新潟と応急危険度の判定ボランテァに参加して現地に入り情報の入手に苦労した経験を思い出したが阪神よりは新潟では進化した状況であったことは確かです。
防災訓練の閉会式ではハットリ市長の立派な挨拶で無事に訓練の全てを締めくくった。
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2010年08月22日(日)

夏休みのお手伝い、宿題は木工教室で

東海岸北自治会主催による木工教室を引き受け私他一名、すなわち2名の大工職による木工教室を受け持ったのである。
この日の教材準備に二日程要したが当日は参加者が予想より大幅に多く準備した教材では間に合わずその調達に気をもんでしまったが参加された皆さんは、トンカチ(金槌)を使い釘を打って親子で楽しそうに作品作りに汗を流した。
自治会館による町内夏祭りの一環として行った行事であったが一時は他のテントが開店休業の有様であったことからもこの木工教室が評価に値する行事で会ったと思います。
折角人が集まると言うことで、会場にはタイアップ90行事の講演会ポスターを張り、案内チラシを手渡してピーアールに努めた。
収支
教材準備2人、当日2人、木材費含め実費13万円、内2.5万円の収入を得た。
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2010年08月03日(火)

箱根富士屋ホテルと元ボクシングチャンピオン内藤選手

過日ボクシングの内藤選手が母親のために富士屋ホテルに宿泊、格安プランと称したカレーライスの夕食がテレビ番組の中で披露されていた。
本日正午、所用で箱根に出かけたついでに以前より関心のあった申告文化遺産建物、富士屋ホテルに立ち寄り明治時代の建築物を見学させてもらった。
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造りは伝統的木造建築と言うよりは西洋的な造りであったが、木材をふんだんに表した建築物であるため古い建物であるがその落ち着いた雰囲気の良さは失われていなかった。
100年使用すると文化遺産。
仮にこの建物が化学建材に囲まれた造りであれば文化遺産としての名誉が授かる事は皆無であろう。
現在のプレハブ住宅や大手の住宅メーカの建物は化学建材を多用したデザイン住宅であるから100年先のその文化遺産的評価は如何様な物か?
木材をふんだんに表した加賀妻の建物、100年後経年変化を楽しみ大切に住まわれ、曽孫さんや玄孫さんがありがたい遺産として誇りを持って更に住まい続けられるよう念入りに造ることに情熱を注ごう。
今日は富士屋ホテルのカレーライスを食した話をしたくて愛用のノートパソコン(panasonic,Let note)
を開いたのだがついつい脱線、テレビ放映後のためかレストランは満席で順番待ちの状態であった。
順番を待ってテーブルへ、1週間も煮込んだ富士やホテル特製カレーライスの値段は、驚いたことに上限が10,000万円であった、やむなく清水の舞台から飛び降りた気分で注文したメニューは富士や自慢の、特製オムライスカレーセット3,500円也、である。
肝心の味の方は、カレーここ一番屋の650円の野菜カレー・4辛の方が旨かった。
好みにもよるので順位はつけられないが、過去旨いと感じたのは他界した母親の作ったカレー、妻のカレー、義母のカレー等が心に残るカレーの味である。
富士やホテルおごる無かれである、まさか格式にあぐらをかき技術の研鑽を怠ったとは思わぬが庶民の味には程遠い満足度でありました。
しかし腐っても鯛、建物の格式、礼儀、高額の諸々は他にひけを取らないと感じたのである。
高級住宅加賀妻の家を提供している(株)加賀妻の社員よ、おごる無かれ、評価されるべきは汗水流して自然素材に生命を注ぎ100年住宅を創作する職人衆であり、お施主様の夢を表現し、職人衆と共に汗を流しているあなた方なのである。
この一念が格式のあると言われ思われている富士やホテルを超える加賀妻の格式となるが決しておごることなかれと再度唱えねば。

2010年08月01日(日)

今日は友引

海の街、軍港都市横須賀で生まれ海岸で育った私は今でも海が大好き、そんなこともあり烏帽子岩を真っ正面に見ることのできるサザンの砂浜、桑田佳祐や加山雄三が愛した茅ヶ崎東海岸に私が住まいを持ってかれこれ10年になる。
この素晴らしい町内で今日は加賀妻工務店とご縁を結ばれた、お若い笑顔の素敵なご夫妻のお住まいを建てるまつりごと、めでたく地鎮祭が挙行され猿田彦神社の宮司さんにより祝詞奏上、猿田彦の尊にご挨拶、この地に建てる建物の繁栄並びに工事の安全を祈願する祀り事が厳かに祝われた。
この東海岸南の地は松林に囲まれた砂浜で大正時代の頃から著名人の別荘が建ち並んだ風光明媚な処なのです。
この地域に住まいをもてると言うことは金銭に換えることのできない喜びであり、よほど運が良くないと良い土地に出逢うことは望めないのです。
土地との出会いは運、まして家を造る工務店との幸運な出会いはそれにもまして運が左右するのです
私達工務店はそのご縁に責任を持ち、加賀妻との出会いがお施主様にとって幸運となるよう全霊を込めて家を完成させ笑顔で暮らせる住まい造りに精進する事が義務であり責任であると考えている。
私の暮らす町内に新しく知人がやがてお引っ越し、この町に住む喜びを分かち合いたいと願うのです。
残念なことに愛用のカメラをパラオで壊し折角の祀りごとは携帯電話がその代役を果たしたのである。
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