2010年03月30日(火)

簡素な宿と春の大雪、富士、箱根、大涌谷、春休み報告

昨日は年度末の休暇を一日取って箱根の県民共済の保養所とやらへ体験宿泊としゃれ込んで一泊。
あいにく夕刻より天候はにわか大雪となり東海道箱根山は大渋滞、チエンを持た家族連れの車は身動きできず、あちらこちらに乗り捨てられていったが幸い我が車両は四輪駆動のパジェロである。
宿はいかにも保養所という作りのホテルで春休みと言うこともあってか子供連れの宿泊客ばかりでした
が、料金は朝夕ヘルシー二食付き一泊7000円、トイレのある部屋は8000円とお手頃価格です。
温泉は自噴の温度75度を42度に冷ましての循環設備、塩素消毒無用の掛け流しで清潔な浴室。
平均的なホテル料金の半値以下で子供の喜ぶゲームセンター等の娯楽もないのですがここを足場に箱根を楽しむには良いのかも知れません(0120-357363 箱根グリーンハイツ朝食付き素泊まり5000)
当日は雪のためホテルまで到着できないお気の毒、不運な家族ずれもあった程の春の大雪でした。
翌朝、会社で来客を迎える為の土産(大涌谷の黒卵)を買うために早朝チェックアウトを済ませ大涌谷へ向かったが道すがら昨夜の雪のために動けなくなった車両が多く乗り捨てられていたのを目撃しつつ
山を登っていった、大涌谷中腹には高熱泉で卵をゆでる場所があり外国人の人気を集めていた。
そこから眺める富士山の美しいこと、富士山を見に訪れてくれた外人さんのデジカメを預かり、にわかカメラマンとして富士山をバックにシャッターを押した回ったお節介役が喜ばれた。
気がついたことに彼ら外人さんが持つカメラは全て日本製であったことは言うまでもない。
(韓国、台湾、中国、インド、米国人は何処となく見分けが付いた、実に国際色豊かな箱根山です)
春雪の富士山を眺めながら昨年8月70才で孫と登った炎天下の夏山を想い出し、健康で体力あれば今年も道連れを見つけてチャレンジしたいなと願ったことでした。
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2010年03月26日(金)

名もなき職人衆、匠の心に妥協はない

最近・棟梁や匠、職人という言葉が脚光を浴びマスコミなどでむやみに安っぽく使われていることに職人衆、棟梁のプライドが傷つくが、ユーザーはマスコミに登場するにわか匠がお好きなようだ。
そのためにちょくちょくマスコミ好みの欠陥住宅ニュースが登場し訴訟となることが増えている。
名もなき多くの設計者、年季の入っている棟梁、職人衆は脚光を浴びることもなく、言葉少なくクレームのない本物の仕事をしている。
彼らは自分の技術、プライドには欺けないと淡々と我が身を削り創作し我が子同様である汗の結晶が何時までも健康で長生きする住宅であるように願いつつ仕事をしている。。
職人は自分の仕事に妥協せず、依頼者の夢、理想に妥協を求めるなが棟梁加賀妻棟梁のポリシーであり(株)加賀妻の理念であることは言うまでもない。
ちなみに弊社は
欠陥住宅を正す・NPO特殊法人建築Gメンの会に所属している調査鑑定登録事務所であり不安を持って訪れるユーザーの悩みを親身になって解消しています。
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2010年03月24日(水)

茅ヶ崎のシンボルは烏帽子岩と名医の烏帽子整形外科

階段の段数は平均13段~14段、蹴上がり寸法、踏面寸法については全ての段が同じ寸法で仕上がっていないと危険だ、決して作るなが私の尊敬する師匠、今は亡き新川佐太郎棟梁の教えであった。
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昨年11月の愛妻階段転落事故はその教えに逆らって作られた寸法違いの階段からの転落事故でした事故直後運ばれた病院で診断結果不明?
複数の病院巡りの結果、縁あって巡り会いお世話になり、靱帯断裂と診断され、復元手術を奨められ成功裏に全快の診断を本日頂きました。
長い間、手術後の生活指導ありがとうございました。
大先生のお陰で今年は念願の富士登山に連れて行けるぞ!
転落!→救急病院、骨にひび?転医→剥離骨折か?捻挫か?転医→烏帽子整形外科の大先生のお見立てで原因判明・靱帯断裂と診断→チタンナット埋め込み復元手術→松葉杖、ギブス→リハビリ→
目出たくも本日ついに全快の判決。     
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                    《大先生、愛妻君お疲れ様でした》最敬礼”
烏帽子整形外科とは茅ヶ崎市のヤマダ電機(元ダイクマ)の近くです(駐車券もらえるよ)
眼鏡の似合う先生も、看護婦さんも、レントゲン技師さんも、リハビリのスタッフさんも、受付さんも皆さん笑顔が素敵、気さくで親切、医院に行くのが楽しみでした。

2010年03月23日(火)

坂本龍馬と弊社展示場=高知城

今もっとも気になるテレビ番組は、福山ふんする坂本龍馬ではないでしょうか。
私と龍馬との出会いは?
阪神大震災の直後より地震でつぶれた家の調査と、つぶれない家の研究の結果!つぶれない建物の建設に一つの結論を得た!
新築か?神戸ではぴつかぴかの内外装の家がつぶれている、近づいてのぞきみると中身は腐蝕し白蟻に犯された構造体が現れていた。
目利きの大工さんの仕事であればこんなリフォームはやらないはずである、多分リフォームやさんの仕事であろう、臭い物には蓋をの、乗りで表面よりきれいなインテリアの仕上げ材をかぶせて素晴らしいコーデネートの住まいに変身させたのである、せめて構造体を住んでる人の目にさらしていれば癌は(腐蝕等)取り除かれ補強され健全な建物としてあの大震災にも負けなかったと結論づけた。
構造体の見える家を造るが調査研究から得られた目指すべき目標でした。
古い寺院、古いままの城がこれからの家のヒント、最近の城は鉄筋コンクリート製で復元されているので参考にはならない。
行きついた先が高知県土佐藩、黒光りした無垢の木材の構造体でできている高知城、山内一豊の妻で名高い、数々のエピソードと歴史を刻んできた高知城でありました。
城に隣接した建物には・坂本龍馬歴史館が設置されていたのを最近の龍馬ブームで思い出しあのとき訪ね当てた先の構造体の見える高知城が弊社展示場の原点であり、現在の日本の住宅の本流となっている貼り物でない本物の木、無垢の樹の家の始まりなのであります。
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2010年03月22日(月)

彼岸は浅草かっぱ寺へ墓参に行ってきました 

雷門のある浅草寺裏にかっぱ橋道具街と言う大きな問屋街がある。
道具というと私は大工道具以外考えが及ばなかった一昔前、大工道具一式をそろえようと河童橋道具街へ出向き戸惑ったことがある。
(欲しかった大工道具とは・ちょうな・かんな・仕上げ砥石・のみ・玄能・のこぎり・墨坪・墨差し・指金)
実は向かった道具街には意外にも大工道具の販売問屋はなかった。
あらためてどうと言うこともないことであるが、当時は大工道具がに入らず残念に感じたことであった。
私と、かっぱ橋とのつきあいは、戦時中に、ニュウギニアでマラリアにより戦病死した我が父上の墓地が雷門裏手に位置する、カッパ寺にまつられているのです。
実のところ、父の墓はカッパ寺ですが、父の遺骨は墓地には有りません。
日本から遠い異国のニューギニアマノクワリでなくなった父の遺骨は未だ日本の地を踏んでいないのです、幼い頃の記憶に白木の箱の中でころころと音とと共に転がっていた石ころが遺骨代わりと母より知らされていましたから実際のお墓(遺骨)はニュウギニアの山河に未だ眠っているのです。
一昨年になるが、父の見たであろうニュウギニアの山河を我が目に焼き付けたくて妻と現地へと向かいニュウギニアの戦没者慰霊碑に手を合わせてきました。
私も妹も父の顔は写真でしか知らないのです、幼くして父を戦場にとられ苦労した母の手にて育てられ現在の私達が有るのですがその母も一年前他界しました。
カッパ寺へ向かうのも今回で終わりにしようと出向いたのです、新婚生活もままならないまま引き裂かれ戦場の露と消えた父と、銃後を守り私達を育て守り通してくれた母は今頃は、あの世とやらで再会を果たしているであろうから、私の戦後はこの墓参を最後に幕を引き70才の今から新たな人生を歩むことにしよう。
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2010年03月12日(金)

ライオンズクラブと献血

茅ヶ崎青年会議所は40才で卒業(30年前)同時に栄光に輝く茅ヶ崎グリーンライオンズクラブに入会
会長他経験現在に至っている。
ライオンズマンの中には表舞台に立ち脚光を浴び活躍することを誇りとしてよりよい役回りの指名を受けることを期待する傾向のメンバーが在籍、ガバナー・国際理事、国際会長と、上り詰めた偉人もいる
半面、見返りを求めず、表舞台に出ることを避けてきた私には、ライオンズ活動で唯一達成感を味わい誇りと思っていることがある。
以前にも述べたことがあるが、この30年間の間で70回の献血奉仕を達成できた事であり、70回と言う回数も素晴らしい結果であるが、良くも30年間一つの目標を持ち続けられたなと我ながら感心するのである。
献血は16才以上64才までの健康な者であれば誰でも献血協力ができ、特例として永年の献血経験者であれば70才まで献血ができる仕組みとなっています。
一度に献血できる量は・400CC(牛乳瓶2本分)であり健康上の理由から1年間に男性は最大3回、女性は2回が限度である。
献血の前には微量の採決をして血液型、比重を計り血圧の安定している者以外は献血の意志ががあっても協力はできないのです、すなわち30年間かかって70才の誕生日当日に70回の献血達成は私にとっては奇跡であった、献血予定日の体調が悪ければ献血できず先送りとなるからである。
冒頭に述べたとおり献血にはご褒美というような見返りはありません、唯一節目節目に記念の杯が贈られて来るだけでそれが30年間の証でもあります。
70才になってしまった現在悲しいかな健康であっても制度上の決まりで、献血ができる資格を失ってしまったのであります。
しかしこの奉仕の精神は我が妻と、その子が引き継ぎあらたなる奉仕の挑戦が始まっています。
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2010年03月08日(月)

不況下の野沢温泉スキー場へ行ってきた!

耐震診断に、耐震補強に、その啓蒙活動に今年もよく頑張った、昨年よりは出だしが遅れ記録の更新とはならなかったが後半の活動は次年度に繋げたと自負している。
弊社の耐震診断も本格化、耐震診断と耐震計画は経験豊富な棟梁の仕事、法に基づいた具体的な設計、申請業務は中山主任・1級建築士が受け持ち盤石な耐震改修業務を展開していくこととした。
既に年度末、私の仕事も一段落と言うことで、ギブスの取れたかみさんを連れて老骨むち打ち頑張った自分へのご褒美と勝手に解釈、今シーズン初めての雪解けのスキー場に出かけた。
行程は先ず、過日の地震被災地調査に出向いた十日町のその後の様子を見ながらルート117号線を南下し野沢温泉スキー場へ。
50才、娘に悪い虫が付かぬようにとの用心棒目的でスキーに同行、ミイラ取りがミイラに、バブルの頃のスキーブームは既になく、今はは不況の為かゲレンデは人影もまばらであった。
三十分待ちも少なくなかったリフトも待つこともなくフリーパス、シニア割引のリフト券3000円を払って一人、乗客のいないゴンドラ2ルート2種類他リフトを乗り継ぎ広い野沢の全てのゲレンデを制覇するのに3時間とはかからないほどゲレンデは貸し切り状態であった。
雪は重く70才の足にはかなりの負担であり、斜面のコブで飛ばされもしたが無事けがもなく妻の待つスキー宿へと戻り今年のスキー滑り納めとした。
それにしても野沢温泉にある13ヶ所、外湯の湯温度の高いこと、地元の人は入っていたがとても入れる湯の温度ではなかった、四十五度以上?はあっただろうか、救いは熊の手洗い場外湯のみ調整された四十三度のサブ浴槽があったことである。
*新潟地震で倒れなかった十日町の伝統的な民家
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*雪道を守る除雪の人々
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*スキーヤーの、まばらなゲレンデにて!
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*頂上にある名峰標示板
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*標識を無視するスノーボーダーが目立つ
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*ゲレンデ風景
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*ゲレンデを走る車
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