2010年01月22日(金)

15年目のさとり 工務店の努め

阪神淡路大震災から15年の日、すなわち茅ヶ崎市の震災フォーラム終了後東京駅より新幹線のぞみにて震災都市神戸に向かった、今から思うとまだ若かった55才の自分に再会する事、そして震災の傷跡を探りその復興の見事さ力日本の神戸の強さ底力を確認する目的もあった。
大阪より三ノ宮へ向かい先ず脳裏にあった被災地の状況、倒壊した駅前の闇夜の様に真っ暗だった神戸新聞ビルやそごうデパート群がイルミネーションに輝き見事なまでに復興をとげていたことに感動を覚えた。
既に18時を回っていたので駅前の東急インに宿を取った、このホテルは震災時の倒壊を免れたビルで当時はこのホテル前から臨時バスが発着しバスを待つ数百人の背にリュックを背負った行列が続いた場所でもあった。
翌日、本来の目的地である神戸市役所で、おこなっている地震直後の救援活動を記録撮影した880枚の写真展会場に向かった。
震災時は4階程のところでつぶれていた市庁舎は倒壊部分が取り除かれ残った部分に屋根が造られ低層建物に代わっていたが全体の面影は被災時の姿をとどめていた。
空中の渡り廊下の落ちた場所には追悼を兼ねた?大きな花時計が造られ観光名所へと代わり隣接して高層ビルの新館市庁舎がそびえ立っていた。
15年前の震災は群馬県岩倉のスキー場で知り、木造住宅の倒壊がクローズアップされてていたことから、その真実と原因を確かめに行ったことがきっかけで私の倒壊建物研究と耐震住宅建設の研究が実践されたのである。
私のおこなった倒壊調査の結論から通し柱の太い、構造の見える建物を、高知城をヒントに考案、朝日新聞が支援している協同組合匠の会として新聞紙上に発表、(我が家の柱と初対面 ・樹の家)話題を呼んだ。
最近ではほとんどの建設会社がその工法を流用して無垢の家とか自然素材の家、骨太の家などと宣伝をしていますがその原型となる建物が加賀妻本社裏に展示場として建設、現在は居住しながらの展示をしています。
少し前置きが長いが本題、工務店の努め
下記の写真は補強模型事例
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*15年前の阪神救援活動
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*救援用工具
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*ご冥福を
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*焼け跡より人骨の捜索
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*命を繋いだ善意の炊き出し鍋
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2010年01月18日(月)

耐震フォーラム大成功裏に

阪神大震災15周年を追悼して、茅ヶ崎文化会館小ホール定員300名会場において茅ヶ崎市民のための耐震フォーラムが開催された。
市長のご挨拶で始まりパネラー一人一人のコメントの後に会場との対話キャッチボールが活発に行われることを期待していたが残念ながら参加者からのボールは市長宛の牽制球以外には始球ボールはわずかしか投げ返されなかった。
茅ヶ崎の人は心優しく、人をかき分けマイクを奪う勇気が無かったのか?市長の話で満足したのか?カウントダウンが始まっているのに、この瞬間もしかして足下が揺れ出しているかも知れないのに、何処の人が後悔することになるのか?心優しい人が家族を亡くし一人避難所での暮らしはつらく寂しい悲しいことになるでしょう、兵庫県南部地震(神戸地震)の被害者再現はなんとしても防がねば。
私のできることからしておこう、震災の前の親切心は悲しいかな工務店棟梁の助言は押し売りとしか思われないのであろう。
ちなみにパネラーとしての私のコメントは下記の内容を話させて頂いた。
パネラーコメント(加賀妻編)
私は阪神淡路大震災の直後よりリュックに寝袋携帯食を詰め
壊れかかった神戸港より震源地の淡路島へ渡り、倒れかかった建物の応急危険度判定の道すがら、すさまじく地面が切り裂かれた、段差1メートル程の断層を見ることとなり地震のエネルギーを肌で感じ、このすさまじいパワーは人の力では絶対に、とめられないと実感しました。
調査は地震の爪痕をたどり淡路島より明石海峡を連絡船で戻り須磨区 長田区 兵庫区 神戸 東灘区 芦屋 西宮 と直線距離50キロを応急危険度判定と倒壊原因調査を兼ね結果2週間をかけ調査判定をしながら無残な被災地を縦断しました。
!震災は忘れた頃にやってくると言われてはいますが! 
平成16年新潟県中越地震  平成19年能登半島地震 
そして原子力発電のある柏崎へと地震発生の都度、判定並びに調査のため手弁当で飛び回り、調査のかたわら被災者の方々とふれあい語り合って参りましたが、
!結果得たことは!
地震が起きてしまえば、どなたも地震が発生してから収まるまでは、立つことも、はうこともできず只只床の上をごろごろと転げ回り、おさまって外を見たら周囲の建物が倒壊していた。すなわち家の中から一歩も外には出られない以上、家族の身を守るためには家を倒壊させない工夫をする以外にない。
家が安全であれば苦痛な避難所へ行くことも有りません。
命があれば食料は報道機関の集まる場所、すなわち市役所等に足を運べば救援物資が山のように届きますから食料の備蓄にはさほど費用をかけないでも良いと思います。
先ずは家族の命を守る工夫をしましょう、
既にカウントダウンは始まっている?のかも知れませんから。
濡れ衣の押し売り、耐震対策が理解されにくいのであれば、最悪を考え地震発生後の救援対策に私はシフトする事を考え始めた。
奇しくも神戸では被災地のリアルな写真800枚を展示始めたとの報道情報を得ていたので思うところあり、耐震フォーラム終了後、新幹線のぞみに飛び乗り即神戸写真展に向かうことにした。
流石というか当たり前というか、同じ青年会議所で学んだハットリさんのご立派なコメント、市の職員さん、日頃見ない正装スタイル、それにしても、グラビア写真から飛び出してきたようなパンツスタイルの素敵な女性は建設指導課の人???素晴らしい発見があった。 
気がついたら我が愛妻舞台の最前列で壇上のパネラー、私を見つめていた。
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2010年01月13日(水)

恒例の新年駅伝大会

会社の前を駆け抜けていった現社長妹尾君の次男颯、私の次女の子であり私の5人目の孫である。
学校一番の俊足ランナーであるが当日はやや苦戦のようであった。
この駅伝大会は伝統のある駅伝であり茅ヶ崎市をあげての新年をかざる行事でもある。
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2010年01月12日(火)

茅ヶ崎たいあっぷ90が1月17日耐震セミナーを行う

茅ヶ崎市は他の市に比べ市民生活に対する思いやり気遣いが大きい様に私は感じる。
茅ヶ崎たいあっぷ90とは茅ヶ崎市建築指導課が事務局を勤め茅ヶ崎市民と協議を重ね近い将来襲いかかる大震災から市民の生命、財産を守る為の様々な問題に対して意見を出し合い安全な町創りを推進する頼りになる協議会のことです。
構成員は、茅ヶ崎市(建築指導課他)、建築士事務所協会、大工組合、一般市民有志。
直近の命に関わるイベントが行われる。
茅ヶ崎市民文化会館ホール・1月17日 日曜日10時開演・この日は阪神淡路大震災から15年となる日、耐震フォーラムと題してパネルディスカッションを催します。
当日は市長も我々と同じ壇上でパネラーとして参加されることで市民との対話が実現できます。
市民が参加されることは即自らの生命財産を守るヒントを得ることになり、いざ大震災発生時に住み慣れた自宅で余裕を持って家族そろって団らんの中で余震を迎えられるか、地獄の避難所で雑魚寝しながらおびえ体調を壊していく道を選ぶかを決める判断材料を収集できるチャンスが1月17日運命の日に訪れるのである。

2010年01月07日(木)

2009年12月31日早朝、364日の反省と付け

大晦日夜もさめやらぬ早朝、寝床の中であまりにも順調だった一年を振り返り目が覚めた。
既に始まっている正月に向かっての休みに入った二日目、気分良し体調良し、と言うことで飛び起き運動着に着替えて茅ヶ崎中央公園を目指しジョッキングを始めた。
久しぶりのジョッキングに片道せいぜい1.5キロのコースに息切れを繰り返しやっとの事で公園に到着耐力の衰えに愕然とした、九九才まで現役宣言如何に?である。
日の出前の公園では既にジョッキングを楽しむ人が幾人もすれ違い一人一人に元気よく大声で、おはようございますと声かけをし気持ちの良い返事をもらいながら昔挨拶もろくにできなかった自分を振り返り見、人前でも平常心で講演をしている現在の自分重ね合わせ順風漫歩でここまで来れた自信、いや自惚れに気がつき心に警鐘を鳴らし我が身の愚かさに身が引き締まるおもいであった。
この公園には面識のあり、再起に応援をしたいホームレスさんが滞在しているので激励を兼ね挨拶をする事も計画の中にあったがいつものベンチには段ボール二つほどの荷物が置かれていて生憎不在であった、その荷を指しているのか公園管理事務所のこの付近の荷物は撤去しますとの警告看板がたてられていた、平穏に年を越せる我々もこの荷物の主もきっと能力に差はないはずである。
明日は我が身一つ舵取りを間違えば一族、社員もろともホームレスに陥ることを忘れるなかれである
実のところ、今日は1月7日である。
早朝早起きをしてジョッキングで身を清め一年の締めくくり364日をブログで閉めて、年明けからの計画をまとめるつもりの頑張りは三六五日目ジョッキング後にダウン今日に至った。
364日間休むこともなく病に倒れることもなく走り続けた我が身は1日残して挫折してしまった。
大げさに考えなくてもこれが人生、これが経営の恐ろしさ、全て終わってみなければ解らない。
今年は全てにおいて一人よがり、マンパワーは慎んでいこう、リーダーたるもの、目指す者達、大勢の人の意見を聞くことから始めようそして考え行動しよう。
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