2009年11月28日(土)

明日はフットサル茅ヶ崎杯争奪戦、目指すはブービーと優勝

ついに カガツマビルダース フットサル公式戦エントリーデビュー、明日に備え仕事を終えた19時より練習を重ねてきた加賀妻工務店職人衆と社員の売れっ子設計担当建築士高橋、インテリな営業山田、司令塔の工事担当者達の混成チームが明日の公式試合で 2チームに分けてエントリー デビューを果たします。
優勝候補の岩本監督チームとブービー候補の吉村監督チーム、どちらのチームも目標を持って二つの賞を勝ち取ってくれることと信じ期待している。
ちなみにユニホームは会長と妹尾社長のポケットマネーでプレゼント、ユニホームのチーム名がきらりと光ることだろう。
残念なのは、デビューまで準備をしてきたがインフルエンザでダウンした、我が子の加賀妻雄介と、ひ孫で骨折をした社長の子妹尾颯が欠場となったことである。
二人の悔しい切ない思いは兄の加賀妻英樹が背負って頑張ってもらいチームに貢献してもらわねば!

2009年11月18日(水)

匠の会設立30周年を祝う

OBとして招かれ草鞋を編み篭をかついだ同士との再会を楽しみに参加し果たせたが、参加OBはわずかであった。
理事長経験者のOBが晴れの祝賀会に一人をのぞき出席出来ないことは会としても情けないことであり本人達も寂しい思いをしていることであろう。
人それぞれ思いは違うが、匠の会は義理と人情の職人衆、棟梁が主役の技術者集団であったはず、30年の歴史は技術者集団から2代目の経営者集団に様変わりしてしまい設立時の朝日新聞社の目的からはかけ離れた方向に向いているように思う。
伝統工法を語れる棟梁のいる工務店は今では我が加賀妻のみとなってしまった、匠の会最後の棟梁としての存在を我ながら誇りに思い生涯現役で匠の心を守っていくことを生きる糧義務として行こう。

2009年11月15日(日)

 震災を語るパネラーに選ばれた。鬼が笑う来年のこと

阪神淡路島、北淡町の震源断層から始まった研究は年を経て、新潟県中越地震(山古志村)、能登半島地震、新潟県中越沖地震(柏崎原発)と地震発生と同時に飛び出して、被災建物の危険度判定ボランティアをしながら倒壊した建物の原因調査研究を繰り返し行って来たこともあり、震災関連の講演会講師には数多く招かれ被災地の状況を話してきました。
今会は茅ヶ崎市主催の減災シンポジュームが神戸地震からちょうど15年目の2010年1月17日文化会館で開催され、パネラーとして、茅ヶ崎市長他4名で行う事が決まり私もその一員に選ばれました。
55歳で始めた震災ボランティアでしたが70歳の今日までに起きた大地震は7~8回2年に一度は必ず、おきている大地震、次は何処の街に?
地震の悲惨さを、パネラーとしてどんな言葉で伝えられるか、伝えきれない悲惨さですが!

2009年11月10日(火)

応急危険度判定士の研修会

今日は大震災に備えての応急危険度判定士の研修会でした。
研修はプロジェクターを使っての研修でしたが講師は震災現場へ出向いた経験のない講師のようだ。
阪神淡路から新潟十日町~柏崎と震災が発生するたびにヘルメットをかぶり、寝袋、大工道具を
リュックにつめ応急危険度の判定ボランティア活動をしてきた小生にとっては聞くに堪えないレベルの話であった為休憩時間を狙って社に戻った。
100年~150年周期に訪れている大震災、今世紀前半には必ず発生すると予測されています。
大震災のカウントダウンは既に始まっています、明日は我が身に襲いかかる大震災かも知れません。
一日も早く耐震診断を済ませ、我が家の地震対策を進めるのが正しい選択でしょう。・
私の耐震技術は過去の大震災地域のボランティア活動の経験を生かし完成したものと自負しています

2009年11月09日(月)

地場中学校の職場体験が始まる

かれこれ10年になるが毎年複数校の中学の生徒さんを職場体験として受け入れています、
今年は11月12日萩園中学校より5名、18日には梅田中学校より2名が体験の為来社します。
今年のカリキュラムはかんな削り、のこぎり引き、釘打ち、木製CDラックの作成、午後は建築現場を見学させながら、現場の清掃などを指導、又最近では家庭で体験することがなくなってしまった大型まさかりによる薪割り等も体験させてやりたいと考えています。
継続して受け入れる会社は準備等で大変なことではあるが、純粋な態度で見聞きしてくれる生徒さんを相手にしていると自分の子供の頃を思い出す、一昔前の体験者は今では良い大人になっていることであろう。

2009年11月06日(金)

孫が神奈川県テニス大会で優勝しました

何をするにも、きっかけとなる理由がある。
私がスキーを始めたのは50歳の時娘二人に虫が付かぬよう娘のスキーツアーに同行したのがきっかけ、映画私をスキーに連れて行って、唄ではユーミンの曲が流れrていた時代のことです。
ミイラとりがミイラに、その後は単独で高齢者BSスキークラブに所属しオーストラリヤ、ニュージーランドをのぞき旅行を兼ねた海外スキーを楽しんできた。
国内では北海道をはじめほとんどのスキー場を征服してしまったが今年の正月は20年前に購入した湯沢岩原のスキーマンションで妻と二人きり温泉スキーでのんびりと正月を迎えた。
ミイラとり時代の娘に虫がとりつき、その子が中学生になりこの度神奈川県のテニス大会で優勝したのであります。
私のテニス歴は30年40才のときからで、きっかけは所属の茅ヶ崎青年会議所テニスサークルでした。
娘のきっかけも孫のきっかけも私の所属クラブだった、湘南ローンテニスクラブのスクール入会からである。
こんかい優勝した孫は、言い換えればテニスに目覚めさせた私の愛弟子なのである。
尚大工職を次いだ我が自慢の息子も中学時代はバトミントン関東大会で活躍していた、我が一族はスポーツでも名を成しているとはちと自慢が過ぎたかな?

2009年11月06日(金)

暮らしを守る工務店だから、100年先ものれんを守る義務がある

最近築年数の古い建物の耐震診断や欠陥住宅の調査依頼が多くあります。
調査に入り真っ先の質問はこの家を建てたのは何処の工務店?ですか。
施工者名を知れば隠れた技術が見えてくる年期の入った棟梁のなせる人脈、知恵なのだ。
名を聞けば居住者にはお気の毒ではあるがほとんどの工務店は今はない。
道楽に走り天職転落、経営難で夜逃げ、技術不足で仕事なく転職、後継者に恵まれない、バブルにおぼれ自らあの世へ、等々廃業原因にいとまなく工務店は半世紀生きられない!
幸い、我が一族は3本の矢、地味で、質素で、控えめで、その上謙虚で人間愛も豊富です。
苦難誘惑乗り切りのれんを育て50年、創業100年祭も夢でない先ずは私の100才祭ぞ。
工務店にはOB様や地域住民の暮らしを守る義務があります、
そのためにものれんは100年先も守って行かねばなりません。
湘南の伝統ある老舗として育て守るべきのれん、
妹尾社長に託し、社員の皆さんに求める思想実践10箇条とは。
加賀妻工務店創業50年の軌跡から創業100年を見据えた老舗工務店がユーザーへ果たす義務とは、善良な後継者を育て内部留保に心がけ50年先も生き残り地域の暮らしのメンテナンスサービスをやり遂げることなのです。
この活動継続が地域社会の信用となり頼られる存在となり地域一番ののれんとなります。
信用一朝一夕でならず、先ずは社内を正常な環境に、身近なことから始めましょう。
地域1番店を目指し地元に密着した姿勢、近隣行事への積極的な協力、参加を心がける。
新規業者の採用には一定の基準を定め会社の理念をたたき込み、承認をえて試用からGo
功労者や長期取引業者は大切に礼節をもって接し仕事配分にも配慮のこと。
先ずは運命共同体本体の垣根を取り払う、決して垣根を作らない。
なに人においても差別偏見の撤廃、先入観を捨て見捨てず我が身を手本に育てる愛情を。
人なりを認めあい、欠点を補いあい、心の高揚からわき出す総合力を求める。。
挨拶の奨励 笑顔の挨拶 人より早い挨拶 礼を持って挨拶 挨拶は起立して行おう。
ワンパワーを避け総合協力体制で営業実績を高める工夫をしましょう。
営業に王道なし努力工夫し実績あげるのみ、但し他の部門はマニアルにそって行動する。
不満、不便その他難解に遭遇したときには迷わず自分の言葉で前向きに代案迷案愚問歓迎、恐れずボトムアップで直属上司と思える人へ進言をしましょう。
同時に社長、会長へもそれでだめなら賢く会社を見切り我が道を行くもやむなし!
以上 

2009年11月05日(木)

代案を持たない民主反対党を見損なった

全ての政策に反対をしていれば良かった民主党、沖縄基地もアフガンも、給油のことも反対していたからには代案を持っていると信じていたが未だに先送りの時間稼ぎ、大変なことになってしまった。
これは自分たちにも当てはまることである、人のふり見て我がふり直す良い機会であるがこのままで日本は大丈夫なのか?
とても心配である。